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広報委員会の土方です。

2020-09-15

広報委員会は「水夢こだいら」の編集・発行を担当していた委員会です。
2020年度からはホームページのリニューアルに合わせて、広報紙水協だより「スイスイ」の編集・発行や水協クイズの担当に変わりました。「スイスイ」を教室中止によりまだ発行が出来なくて残念です。
新型コロナウイルス感染防止対策により教室が中止になり、教室会員さんに会う機会がなくなりましたが、ホームページ上で「水協クイズ」を掲載し水協と教室会員さんの繋がりにちょっぴりですが一役買っていると思っています。
そんな新しい広報委員会・委員長の土方みどりです。

苗字は“新選組”で有名な土方歳三さんと同じ「土方」です。
水泳教室の指導員をしていますと、あの幕末No1イケメン「土方歳三」さんのことをよく聞かれます。

広報誌「水夢こだいら」161号まですべて保存しています。

<我が家の昔の話>
主人の先祖が日野から出てきて、小川村の〇〇家(親戚)に世話になり、〇〇家の娘さんと結婚して小川村に住み始めたと聞きました。

<私の話>

嫁いだ土方家は農家でしたので、親戚付き合いや昔ながらの慣習(お彼岸・お盆・暮れなどなど…)が多く、一言では言い表せないほど大変でした。そんな我が家も義母、そして義父が他界し、時代も変化していき、嫁としてはかなり(相当)楽になりました。アッ・・主人はサラリーマンです。

<家系図を作ってみた>

興味本位で日野の土方家のことを叔父にいろいろ教えてもらい、簡単な家系図を作ってみました。
18〇△年 主人の祖父の父が生まれ、その父の名前や母の名前・・・
遡ると嘉永3年・享保14年とか出てきます。これってテレビで見た時代劇の話ですね。
“享保”は徳川吉宗の時代で、歴史好きの私にはたまらない言葉が見えてきて心躍りました。
1642年以前はお寺の火事で分からないそうですが、日本人として代々繋がっていることは理解でき、これがきっかけで知り得なかった親戚の皆さんとの関係や顔も覚える事ができました。
・・・と言っても私はお嫁に来た身ですから血筋も何も関係がなく・・・残念!

<私の土方家と土方歳三さんとの繋がり>
WEBで調べてみました。ちょっと古く、清和源氏の流れだそうです。日野に移り住んだ末裔が15軒ぐらいあったと言われ、“土方一族”と呼ばれたそうです。歳三さんが生まれたとき(1835年)には、すでに主人の先祖の土方家は存在します。ですから土方一族(15軒)の1軒かも知れませんね。その子孫は今でも日野にたくさん住んでいます。我が家の家紋は同じ「左三つ巴」です。多分大抵の土方さんは同じでしょう。
このことが分かってから聞かれると、「何の関係もありませんが、同じ苗字ですから、遠い昔の親戚かもしれませんね。」と答えるようにしています。

土方歳三義豊さん・・・幼にして武を好み庭園に矢竹植えていう・・・
「われ壮年武人となって名を天下に上げん」と。 過去に思いを馳せる今日この頃です。

13年前の私です。
2007年ウーマンズフェステバルの泳法研究会に参加したときの写真です。隣は背泳ぎの中村選手です。

そして、今の私です。写真の編集も少し出来るようになりました。

次回は、普及委員会の堀川委員長です。

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