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木曜シルバー教室 野口晴夫

2022-10-15

 73歳の時、9月日本地図センター(目黒区青葉台)へハイキング用の地図を買いに出掛ける朝の事、体が重く何か変と感じながらも家を出たのですが駅ではエスカレーターを、いつも渋谷駅から歩く地図センターへの道もバスを利用する有様でした。何か変。翌日病院へ狭心症の診断でした。
すぐに入院ステント治療を開始、一週間の入院で退院しました。入院経験もなく健康には自信の私が自分の体力にすっかり自信が持てず杖を使用して歩くようになってしまいました。
 妻が心配し市報で読んだ水協の「水中ウォーキング」に参加してみたら?に従い参加の申し込みをしたところ入会が決まり月曜日午後に参加しました。最初は半信半疑でしたが、先生や会員の皆様に助けられ少しずつ元気になりました。

 4回目の申込の時。選にもれて、どうしよう?やっと元気になったのに?先生に相談に乗っていただき木曜シルバーの教室にお世話になりました。
 幼い頃の川遊びくらいの経験しかないので木曜シルバー一班の一番最後を泳ぎ浮くことが楽しかった。25m泳げた。楽しかった。健康になってきました。杖なしで体育館にいけるようになり指導の先生に感謝、感謝です。先輩の友人達にも助けられ現在まで続けています。小平市の水泳協会にはお世話になりっぱなしです。

 私事ですが、仕事は貴金属装身具の加工・修理・販売の小店を立川市栄町で営業している現役81才です。
 父はミキモト真珠の職人でした。(大正14年~昭和13年金使用禁止で職場解散まで)父は赤坂、母は本所の生まれですが私は父の次の仕事場になった新潟県三条市で生まれました。私が中学卒業するのをまって父は再び東京へ5人兄弟の長男の私としては父と共に装身具加工の仕事を15才の時から手伝い現在までやっている次第です。楽しく夜学8年も経験いたしました。
 職人という仕事は人件費の計算の基礎となるもので下請仕事の時も(ミキモト装身具・田崎真珠下請)コストを削られる仕事でした。試行錯誤の結果30才の頃自分の店舗を持ちたいと考え下請の仕事をしながらなんとか開店する事ができました。店もなんとか順調になってきましたので下請仕事を断りご近所の仕事で少しずつ営業していた頃、デパート出店に誘われ出店致しましたが5年位でやめました。私の嫌だったのは私が苦労し加工・修理しても〇〇百貨店で修理、△△百貨店で加工してもらったなどのお客様の言葉でした。
 現在はSNSの発達のお陰もあり北海道から小笠原・宮崎県まで注文を受けられるようになりました。どこでも修理を断られてものを修理、どこでも作ってくれない物を作る。
こんなことで毎日幸せを感じています。

 縄文時代の人達もイヤリングをしていたし特別な思い出のある石でも貝でも木の実でも何でも好きな物、自己表現の出来るものを作るお手伝いができて、代々伝わるものの修理ももちろん、出来ない物もありますが出来る限りやらせていただき満足しています。
 仏像の台座の修理、バックルの修理、もちろん貴金属でなくてもできるものはハンドバックやブーツのかなぐもお役に立てればなんでもしようと考えています。年をとると言う事はそんなことでしょうか。

 プールでお世話になったお陰で海でも泳ぎました。昨年と今年に佐渡で泳ぎました。
諸先生方にお世話になっています。会長先生ありがとうございます。先輩友人の方々また楽しい会合をやりましょう。明日がある事は楽しいことです。

 マグロ、カツオのように泳げませんがフグ、やウミウシの様でも楽しく泳げればよいと感じています。

 装身具の事何でもご相談ください。私の知っていることは何でもお教えします。9月も立川2中の生徒3名が職場体験に来ます。ストラップとアイスクリームスプーンを作る予定です。

 毎日楽しく暮らす81歳野口晴夫でした。

来月は水曜午前の加藤さんです。
お楽しみください!!

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